いま、夏目漱石に学ぶ意義
午前中、筋肉痛だなぁと思いつつ、勉強する頭になかなか切り替わらなかったので、
漱石文明論集 (岩波文庫) 岩波書店
https://www.amazon.co.jp/dp/4003111109/ref=cm_sw_r_sms_awdb_qJqzybYCGFZG3
灘高校時代、国語の先生が課題本として配ったのがこれ。
当時、たぶん定期試験に出された時はのらりくらりと答えたと思うんだけど、
漱石の述べたことを理解しようとするとなかなか難しかった記憶があるんですよね。
大正時代の社会について漱石なりの意見が述べられているのですが、
漱石よろしく、形式は変わるものの、本質は変わらないからか、いまもなお生きる学びがあると思うのです。
人工知能が仕事をしてくれる時代
東京駅近くのKITTEにて開催中の「3月のライオンCafe」
仲の良い女性3人と遊びに行ってきた。
案外ご飯が美味しかったし、
そのうちの一人から6枚落ちで挑戦を受ける。
筋よくぽんぽんと指してくる相手に青息吐息ながら、攻めが細く遅くなったタイミングで反撃して、誤魔化して勝つ。
2枚落ちの感覚でやってたらいつの間にか窮地に立たされて焦った 笑
駒落ちで指すと、諦めがよくなる気がする。読みはもちろん大切だけど、そもそも不利な状況だから、背に腹は変えられないと思い切りがよくなるのだろうか?
きょう、いろいろと散歩しながらいろいろ考えていたのだけど、
古代ギリシアのアテナイみたいな社会体系って未来の社会の構図なのかななんて思ってしまった。
アテナイでは鉱山開発や大規模農場経営に、周辺の被支配民族が奴隷として動員されたらしいんだけど、
もちろん都市内部でも運営をサポートしていたわけです。
政治や哲学、科学など、後世に大きなインパクトを与えたギリシア。奴隷により回っていた社会だよという留保をよく耳にするんだな。
翻って現代社会。人工知能が人間の仕事を奪うって話がよくされるけど、つまりは皆が働かなくても社会が回っていく時代が来るってことなんですよね、きっと。
そんで、職業人は
A.働いて不自由なく過ごせる人
B.働いて自由なく過ごす人
C.働かずに不自由なく過ごせる人
の3パターンに分かれるのかなと思うんだけど
Cって要するに、アテナイ市民だよねって話。
加えて、労働が苦しいことだとめちゃくちゃ不安定な秩序の社会だな、A、しかも嬉々として働く人たちが増えないといけないよなーなんて思考は進む。
働くことは辛いこと。
どうも今の社会人はそう思っているらしい。我慢こそ大事で、give and takeなんですよってのはわからんでもないんだが、他人に我慢を強制してしまうのはアウト。でも無理するとどうしても自己肯定のために強制したくなるんじゃないかな?
働くことは楽しいこと。
そんな社会の方がもっといいよね!
グループワークで一番大事なのは熱意なんだな、きっと
1.寄り道のできる社会を創ろう!
日本生産性本部という,
いかにも怪しげな名前の公益財団法人が主催する、
ジュニアアカデメイアというプログラムがある。
大学の授業で紹介があって、面白そうだな、いろんな人と知り合えるかなーと思って参加してみた。
出会い厨というやつである。
プログラムは
産官学のお偉いさんが学生に対する講演に
学生たちによる理想の叫びとしての政策立案で構成される。
講義はものすごく短い時間でやるからなんだか消化不良。
まぁそれはそれでいいんだけど、
政策立案のグループワークがなかなかしんどい。リーダー役を担うつもりはまったくなかったんだけど、なんだかんだリーダー役に。
まぁそうなるよねー
学生のレベルと熱意が不統一だからなかなか難しい。
じつは取り組むのが「もっと寄り道のできる社会を創る」というテーマなんだ。
他の班は社会保障だとか、エネルギー政策だとか、地方創生だとかをテーマにして政策立案に取り組んでいるんだけれども、
ぶっちゃけうまくいかないと思っている。
年末になってブログを開設するというお話
今年もまた年の瀬がやってきた。
そんなときにブログを開設する。
プログラミングの練習がてらWordpressで作ろうかなと思ったのだけども、わりとハードルが高かった(´∀`)。
こびへつらった文章を書くつもりはない。
そんな文章を書くつもりはないが、もし誤った方向に向かっているようならぜひコメントにてご修正いただきたい。
なんでまた年末に…と自分でも思ったのだが、さて一年の振り返りでも書こうかしらと意を決してみて、
Facebookにせよ、以前からのブログにせよ、
自由気ままに記事をかける場所がないということに気づいてしまった。
Facebookはそもそも長文投稿に不向き。
以前からのブログは東大生であることが前面に出てしまっているし、なんだか遠慮した文章で固めてしまっていて、いまの僕が書きたいことを書けなくなっている。
もはや新天地を求め、新境地を開拓するべく、新たなる戦さ場が不可欠なのである。(大袈裟)
さて、である。2016年が終わろうとしている。
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