いま、夏目漱石に学ぶ意義
午前中、筋肉痛だなぁと思いつつ、勉強する頭になかなか切り替わらなかったので、
漱石文明論集 (岩波文庫) 岩波書店
https://www.amazon.co.jp/dp/4003111109/ref=cm_sw_r_sms_awdb_qJqzybYCGFZG3
灘高校時代、国語の先生が課題本として配ったのがこれ。
当時、たぶん定期試験に出された時はのらりくらりと答えたと思うんだけど、
漱石の述べたことを理解しようとするとなかなか難しかった記憶があるんですよね。
大正時代の社会について漱石なりの意見が述べられているのですが、
漱石よろしく、形式は変わるものの、本質は変わらないからか、いまもなお生きる学びがあると思うのです。
久しく読んでなかったんだけど、
ゼミ総会の準備で川人博弁護士にインタビューして、過労死が日本でなくならない理由をどうお考えになるか質問した際に、
明治維新以降、追いつけ追い越せでだいぶん無理のある成長の仕方をしてきたからなんじゃないか
っていうお話を伺ったのを思い出して、
漱石の「皮相上滑りの文明開化」ってフレーズがふと頭に浮かんだんですよね。
まぁ、ここ数日頭を使ってなかったので十分理解できたかというと怪しいのですが、
今の時代こそ漱石に学ぶ意義があるんじゃないかと思いました。
漱石はいいます。彼の生きた時代はそれ以前の生きるか死ぬかの選択を迫られるわけではなく、「生きること」と「生きること」の選択になったと。
そこで、人間の本来の活力に根ざした文明化の経路
①出来るだけ労力を節約したいという願望から出て来る種々の発明とか器械力の方面
②出来るだけ気儘に勢力を費やしたいという娯楽の方面
を理解しないといけないのにできていないし、それができてないと厳しい。
それは、いまの文明化が内発的でなく、外発的なものだったから。
だから、どうにか内発的な開化にしていかないといけないですよね。
という講演だったのですが、重いですよね。
ちなみに外発的な発展だと、事あるごとに周りに左右されるとも漱石は指摘します。
就職活動でよく自己分析が大切と言われますが、過去を振り返ることで将来の目標が内発的なものになるんでしょうね。