マーケターの雑記帳 ~波に乗るより波を起こそう~

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水俣で、改めて感じた現場にいくことの意義 ~ Nothing could be the ”past” ?~

海です。@水俣

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昨年12月はいろんなイベントがありました。
1~2年の頃に所属していた川人ゼミ*1の総会でいろいろな方と会ったり、旅行したり。

会津若松の件は以前投稿しましたが、
12月9日~12日にかけて熊本県に行ってきました。9日・10日は水俣市、11日・12日は熊本市阿蘇益城町

学期末試験が終わったら何回か東北に行きますが、中国・四国や北海道にも行けたらいいな~と思っています。

 

昨年関わっていたNPOカタリバが地震を契機として、子どもの自習環境を確保をするべく熊本に拠点を出していて、
「ぜひお手伝いさせてください!」と手を上げたのが5~6月の話。

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結局、夏休みに2回ほど赴き、現地の中学校で勉強を教えたり、一緒に学校を掃除したりしてきました。写真は……草刈りしているときの写真ですね。翌日、腰痛かったな。(笑)

そんなこんなをFacebookで投稿したのですが、それをみていた友人が、誘ってくれたのが水俣企画。

友人は、来年から某省庁に勤めるのですが、その内定先の先輩に斡旋していただいたそうです。

そんなご縁にあやかっていいのかΣ(・□・;)と思いながらも、せっかくの機会と思ったのでお供させてもらいました。

 

水俣に実際に行ってみて感じたのは、、、世知辛さ。

それと現場に行くことの意義でした。

朝8時成田発のLCCに乗って、10時半に熊本空港に着いてから、
バスで八代、そこから肥後おれんじ鉄道に乗って水俣駅。ご覧の通りきれいな感じ。
(そーいや、後輩が“みずまた”って読んでいて愕然としましたΣ(・ω・ノ)ノ!ワロタ。)

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駅からでてすぐ、目の前にチッソの建物がありました。新日鉄の工場のすぐ側にある釜石駅と重なります。ザ・企業城下町

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案内して頂く方と合流し、「水俣ツアー」がスタート。

甘夏みかんを栽培しながら、水俣病を語り継ぐ“ガイア”から行程は始まります。

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甘夏みかん。
熊本に住んでいた頃、みかん狩りをしたりしてたんで、特に不思議に思うことは無かったのですが、有機水銀に海を汚染された漁師の方々が、生計を立てるために栽培し始めたのが、この、みかん。
他にも紅茶栽培に精を出す農家さんもいらっしゃるそうです。

天の製茶園 ネットショップ ~あまたま農園 和紅茶工房~

 

 

ガイアで語り部の方を乗せ、向かったのは、コチラ。(サイトが、重い…)

道中、
「ここの家は、訴訟団で代表をしていた〇〇さんが住んでいてね~。いまは息子さんが住んでるのかな?」
だったり、
「ここら辺はもうヘドロの埋め立て地。だだっ広いでしょ~」
だったり。

ひとりふらっと来ただけではわからん話よなーと思いつつ、ふんふんと頷いていましたが、

うん???ヘドロ???


そんなこんな到着したのが水俣病資料館です。

f:id:BokuMuraemon:20170102001732j:plain 水俣メモリアル

資料館の近くにあるのが ↑ の「水俣メモリアル」。視界に映る球体はすべて自分の姿を映し出す配置になっているそうです。もともと水俣病の慰霊祭が行われていた場所。 

 

ちなみに、水俣病ですが、朝日新聞に以下のような紹介がありました。

チッソ水俣工場(熊本県水俣市)が不知火(しらぬい)海に流した廃水のメチル水銀が原因で生じた公害病。1956年5月に公式確認された。熱さなどが感じにくくなる感覚障害や思うように体が動かない運動失調、見える範囲が狭くなる視野狭窄(きょうさく)などの症状がある。今年10月28日時点の認定患者は2282人(うち1894人が死亡)。未認定でも政治決着や訴訟などで約7万人の被害が認められたが、今も2147人が患者認定を求め、約1400人が訴訟で損害賠償などを求めている(2016年11月末時点)。

4大公害病としてお馴染みのはず。 2016年は公式確認から60年だったんですね。

You Tubeで映像を探したらありました。(※痛々しいです)

法学徒としては水俣病訴訟も学びの多いところでありますが、詳しいところはまた別の機会に。
とりあえず、水俣病には水銀を摂取して発症するタイプと、胎児のときに母親が水銀を摂取したがため発症するタイプの2つがあり、話が変わってくるとだけ。*2

 

資料館には、ビデオやパネルが配置され水俣病についてまとめられています。時間帯によれば語り部の方の伝承を伺うこともできるようです。

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ビデオを見て悲しくなりました。
流れてくる映像が悲痛極まりないものであったのもさることながら、
水俣病という、
自分が知っていると思っていたものも、
じつは全く知らなかったんだと痛感したからです。

 

道中、耳にしたヘドロとは、その昔、メチル水銀がわんさか含まれた排水が沈殿したもの。
そりゃ、そうだって感じですが、
埋め立て地の広いこと広いこと。こんなに……

 

他にも驚きました。
チッソはのちに水俣病と名付けられる奇病の報告を受け、猫を実験体に検証し、排水が原因であることを突き止めていたのです。それにも関わらず、隠ぺいし、排水を出し続けたのです。
「もしこの事実が露見したら、工場の操業は止めざるを得ないだろう。しかしそんなことになったらチッソの社員やその家族の生活はどうなる?しかも我々の製品は日本の経済成長を支えるものであって、工場の停止は、日本の経済発展にも悪影響を及ぼすことにもなるだろう。」

仕方がない。必要な犠牲。
はたしてこれは正義か。はたしてこれは誇れるのか。

たしかに、生きるか死ぬかの極限状態にあるならば、犠牲を払う選択肢もありうるのかもしれない。
戦後の窮乏からの脱出こそが至上命題であるならば、致し方ないのかもしれない。

でも、本当に極限状態なのか、自分たちで勝手にそう思っているだけではないのか?という自問は繰り返すべきだと思いました。
人体に不可逆的なダメージを与えるような危険を冒すほど、自分たちは危険な状態なのか、と。

正義を語る人間は、ときに独りよがりになります。
みずからの信じる正義を守るために、「仕方ない」と吐き捨てて、結論ありきで他者を容赦なく傷つける。

 

もっとも、いまの豊かな日本に生きる自分として、過去の選択が誤っていたとか、正しかったとか、そんな無責任なことは言うつもりはありません

 

悲しいのは、その事実を知らないまま、シッタカをしていた自分です。

歴史に学ばず、考えることをやめていた。というより、考える題材として認識していなかった。その自分の不明さを恥じました。

歴史は形を変えて繰り返し、現在に現れます。何事も過去になりえないのです。

 

 

現場に行くこと。

言葉をなぞるだけでは得られない身体感覚を得ること。

東北にスタディツアーでいろんな人と行って、陸前高田の砂地を目の当たりにした彼らが口にする衝撃を、

僕は水俣で再度実感したのでした。

*1:東京大学の1・2年生が所属するゼミで、正式名称は法と社会と人権ゼミ。過労死の労災認定を専門分野にご活躍の川人博弁護士が講師を務め、先生のお知り合いで社会問題に携わるゲストによる講義と、学生主体のフィールドワークにより成り立つ。学生は複数のパートに所属して「現場」に赴き自身の問題意識を深めていく。労働や教育、司法など定番パートは損じアするものの、メディアやジェンダー、地域経済などテーマは多岐にわたる。

*2:当時、胎盤はすべての毒素から胎児を守ると考えられていて、母子の病気の継承なんて想像がつかない話だったといいます。

胎児性水俣病の存在を発見した医師は、大変な事実に周囲から公表に細心の注意を求められたそうです。「それは大変なことだぞ。その事実は混乱を招きかねない。じつは違ったとなるとただ事じゃないぞ。」と。

予見可能性はどれほどあるのか?責任をどう認定するのか?一筋縄にはいかないはずです。