『友罪』 何ゆえに生きながらえる?
2018年は毎月2本は映画を観ると決めている。(紫文字はDVD)
今年みてきたものは以下の通り。
- 1月 スターウォーズ8 | Destiny 鎌倉物語
- 2月 空海 美しき王妃の謎 | グレイテストショーマン
- 3月 リメンバーミー | インターステラー | ゲド戦記
- 4月 チャーチル | ペンタゴンペーパーズ | レディプレイヤー1
- 5月 レディプレイヤー1 | リズと青い鳥 | 犬島
レディプレイヤー1は圧巻でワクワクどきどき。思わず2回映画館に行ってしまった。
そして6月に入って初めての映画は、ファーストデーで、『友罪』。
もし、心を寄せてくれた友人を裏切って、日々、その罪の意識で張り裂けそうだったら—
もし、そんな孤独の中に心を許した友人が、かつて猟奇的な殺人鬼として話題となった「少年A」だったら—
普段の生活では思いもしないような、
でも、どこか自分たちも犯しているかもしれない罪や、いつ直面してもじつはおかしくないような、
そんな深刻なテーゼを示してくれる映画が『友罪』だ。
生田斗真が演じる益田と、瑛多が演じる鈴木。この2人が主人公のストーリーだが、
それぞれの過去に、
くそみたいな男にいいようにされてきた藤沢(夏帆)、
息子が無免許運転で3人の小学生の命を奪ってしまった山内(佐藤浩市)と
少年院で鈴木の更生にかかわりながら、じつの娘とは疎遠となってしまっていた白石(富田靖子)の2つの家族
の物語がかかわっていく。
3つ感想がある。
1つ目は、友情とはなにか、だ。
エーリッヒフロムは『愛するということ』のなかで、愛には以下の4つを含むものだと述べている。
すなわち、①配慮 ②尊重 ③責任 ④知 だ。
相手をおもんばかることができなければ、それは愛とは言えず、
また相手の在り方をみとめることができなければ、それはただの身勝手なのかもしれない。
そして、相手が困ったときにも助けてやろうと、責任をとってやろうとする姿勢がなく逃げてしまえばやはり愛とは言えず、
さらに相手に好奇心を寄せて知ろうとしなければ、それはただのマンネリなのかもしれない。
だが、友情とは何か。もっと対等な何か、薄いものの深い、遠いけれども近い。そんな関係が友情にもとづくように思われるが、
益田と鈴木の関係をみていて、いっそう謎が深まった。
2つ目は、山内と白石の対比がメッセージ性があっていいと思った。
罪を償う正義感と家族を守るという考えから、家族離散を決意した山内は最終的に自らの家庭と子どもを手にしようとする息子と決別する。
一方、「どうせ先生も見捨てるんだろ」とわめく生徒をよそに、流産で緊急入院した自分の娘に会いに行く。結果、遅ればせながら母娘の関係を再構築することに成功する。
罪を赦すことのできなかった山内は、結局、孤独のうちに死に行くのだろう。
そして3つ目は(これは映画と関係のない話なのだが、)こういう重いテーマの映画こそ考えさせられていいなと思った。
冷静に、考える。ずっしりくるけれども、そういう時間が最近なかったように感じていて久しぶりの感覚でいいなと思った。